2017-12-10

文殊さん定期報告1281

★大津で新社会党の学習会!
★大阪では内灘65周年集会! 
★シート、またズレたまま!

本日2017/12/10(日)は、米軍基地工事開始から1294日目(3年と198日)、レーダー搬入より1146日目(3年と51日)、本格稼働1081日目(2年と350日)でした。

昨日は午後より遠出をして詳しい報告をできず(動画のみ)。今日はその関係で昼間にお参りできませんでした。

遠出の内容は2つ。新社会党の皆さんの学習会に呼んでいただいて宇川の基地の話をさせていただいたことと、前にも案内をさせていただいた「内灘闘争65周年集会」への参加でした。

学習会(午前中)ではこの件での話は始めてという方も多かったので、事の起こりから最新情勢までPPを使って1時間ほども喋らせていただきました。
安倍政権の5年間で経ヶ岬がどのようにされてきたか、このことの示す意味は何なのか(戦争へ向かって突き進んでいる)ということを話したつもりです。昨夜の懇親会も含めて、多くの方に現地での日々の活動はとても大切ですと励ましていただきました。ありがとうございました。

午後の集会はその名の通りいわゆる「内灘闘争」の65周年を記念してのものです。
内灘闘争とは1952~53年に米軍基地反対闘争の先駆けとなった闘いで、朝鮮戦争の最中に石川県内灘村(現在は内灘町)の砂丘に日本の企業(小松製作所)が作った米軍の使用する弾頭の試射・訓練をやる米軍基地が政府によって無理やり作られたのに対して現地の特にお母さん方(「おかか」と言われた)を中心とする大反対運動が起こったというものです。

内灘村は漁業の地域であり、ほとんどの男が1年の多くを出稼ぎに出て地域は実質敵に女性達しかいない状況の中、その子どもを持った数百名の若い婦人達が「私たちの海は渡せない」と基地前、射撃場前で連日座り込みを続け、そこに全国から数千人の支援の学生や労働者が駆けつけて当時国をあげての大問題となった出来事であったということです。
最終的にはこの大混乱(彼らを弾圧に来たのが自衛隊の前進の「警察予備隊」)を収拾するために一旦は基地の受け入れを決定した村が、その撤回を求めて国と交渉を重ねて全面撤退を勝ち取ったという闘いでした。

その闘いに直接に参加されたご夫婦(女性は当時20才)のお話を聞かせていただき、当時の揺るがぬ行動と今に繋がる信念に感動を覚えました。当時は国民の全体が戦争への記憶を持ってイヤだという思いを共有して皆で闘えたが、今はそれがうまくごまかされてしまっている、騙されてはいけないという指摘もいただきました。正にその通りだと痛感しました。辺野古で、高江で、そして宇川で同じ事が国によって起こされています。

集会ではこの内灘の話の後に、今年になって特に強烈に進められている九州と南西諸島への新しい自衛隊基地建設の動きと反対の取り組みについての報告がありました。佐賀空港の自衛隊使用問題、奄美、宮古島、石垣島、与那国島での自衛隊新基地建設の強烈な実態とそれらに向かっての様々な活動の内容をその中心の方々から聞かせていただき、何とも酷いことが進んでいると実感できました。
これら全てが安倍政権による強烈な戦争国家政策の一環であると見ることができます。
経ヶ岬の5年間もその政策の重要な一つということです。

連帯の輪を広げ、大きな視点を得ることができた1日でした。

今夜のお参り、基地は相変わらずの不夜城となっています。先日の風で本堂裏のシートがまた何カ所もズレたままとなっています。
昨日上げられなかったものと含めて画を上げておきます。

12/10(日)夜

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